疑うと聞くと、「人を信じない嫌な人間」等といった印象を受ける人もいるかも知れません。ですが私が「疑いたい」と言っているのは単純にそういう事でなく(無論、他人の話や意見を疑う場合も含まれますが)、「既存の価値観や常識等」を疑いたいという事です。
どういう事かというと例えば、有名大学を卒業し有名企業に就職するのが理想だとか、お金は後生大事に貯め込むのが望ましいとか、また「今までこれで問題なかったのだから」とか「昔からこの様にやってきたから」といって現状のままで居続ける、とかそういったものです。
一見すると、社会の風潮や大多数の人が共有しているであろう価値観や常識に従ってさえいれば万事安泰、無難な人生が送れると思えるかも知れません。ですが私としては物事を可能な限り自分で考え判断したいのです。
そうするとどうなるか?自分で考え判断し続けると、自分なりの価値観や物の見方が醸成されてきます。そうなると自分なりに創意工夫したり試行錯誤しようとなっていきます。結果自分なりの、そして自分だけの発想や楽しみが見いだせるようになるのです。
また常に意識的に物事を疑う(または深く掘り下げ考えてみる)と、思わぬ発見や気付きが得られる場合もあります。
私の事例を紹介しますと、私は以前は外食やコンビニ・スーパーの弁当等のみの食生活でした。これは当時の私の当たり前であり、何の疑いも持たずに数年程そのような生活を続けていました。ですがふと考えてみると「それで本当にいいの?」と疑ってみるようになりました。自分なりに考えやり方を変え、外食を一切止め代わりにスーパーで食材を買ってきて自分で無手勝流ながら曲がりなりにも料理するようにしてみました。すると、案外料理が楽しい事が判明しました。また外食するよりも食費がかからなくなり、かつ計画的に食材を購入するようになったので無分別に食べたいものを食べたいだけ食べる以前の食生活が改善され、体型も改善されたのです。
時代や自分の置かれている状況はそれこそ流れる雲の如く、日々刻々と変化していきます。昔の常套手段が未来永劫通用するかどうかは全く確実でないのです。それならば常に現状に即した適切・妥当であると自分なりに考えた判断・選択を常に求めるのがいいのではないか?というのが私の今現在の洞察です。疑い続けるのは根気や労力が要るかもしれません。ですが慣れれば常に冷静に、一歩引いた目を以っていろいろな物事と対峙出来るのではないでしょうか。新しい物やサービス、慣例や風潮等が引っ切り無しに矢継ぎ早に入れ替わり立ち代りの現代では特に大切だと私自身は考えます。
では今日はこれで終わります。今日もありがとうございました。また次回お会いしましょう。失礼します、さようなら。
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