柔軟に発想するという事は、時に他人とは一線を画したり、世間の常識と思われている事とかけ離れている場合もあるでしょう。しかし私は、何でもかんでも他人に同調したり模倣してばかりいる事が良いとは思いません。案外、他人が思いもつかなかったりしそうもない事が新たな成功や楽しみ等をもたらしてくれるのです。
実を言うと幼少の時分の私は自由奔放で良く言えば独創的、悪く言えば周囲に迎合・同調しない子供でした。それが周囲の人間(特に大人)から「周りと同じにしろ」とか「そんな性格は駄目だ」等と執拗に迫られた結果、その後しばらくは自分を押し殺し大体の疑問を呈する事無く所謂「標準的な人間」を演じてきました。
しかし社会人生活も数年が経つ頃、自分の中で沸々と「人生これでいいのか?」という疑問が湧いてきたのです。それからいろいろな人の本を読み漁ったりネット等で様々な生き方や意見・価値感やものの見方等に触れた結果、「他人と違っていていい」と自分なりの結論に辿り着きました。
世の中を見回してみると、一部の他人とは少しか相当異なる人達が新しいものやサービス、また生き方とか価値観を生み出しています。しかし仮に世の中の全員が横並び・人並み志向なら、または日々を無難に当たり障りなく平々凡々と過ごしたいと考えていたら、どうでしょう?例えば大学卒業しなければならない、とか何歳までに結婚して子供は何人かいるのが当然、とか失敗や衝突を避けたいからやった事が無い事はやらないでおこう、とかそういう似たり寄ったりの発想や生き方です。それでは誰も新しい事や難しい事をしようとせず、結果革新的な何かが創造される可能性も皆無か非常に低いでしょう。
また人生の幸福に関しても、柔軟に発想する事で恩恵があると私は考えています。言ってしまえば「自分なりの幸せを見出す」という事です。世間の基準で幸せを定義してしまうと、「僕は大学卒業してないから不幸」とか「私は結婚してないから不幸」といたずらに自分を不幸と見做してしまう人達が増える可能性があります。しかし、そういった世間の常識とか一般的な価値観とかに縛られずに発想できれば、人生いくらでも自分で自分の幸せを定義し自分なりの豊かで充実した人生を送れるでしょう。
私は柔軟に発想するべく常に「それは何故?本当?」とか「あれとこれを組み合わせてみたら、どうか?」等といろいろ思考したり夢想しています。それを繰り返していくうちに独自の発想や価値観、ものの見方が醸成されてきた感があります。
これからも次から次へと今までに無かったものが出現する事でしょう。それらから刺激を受け、今後も自分なりにその時々の時代背景に即した柔軟な思考・発想をし続けたいものです。
No comments:
Post a Comment