こんばんは、タケヒコです。本日もご訪問ありがとうございます。では早速本日の記事を始めます。
今日はインターネットで私が見つけた記事についていろいろと私なりに思うところがあり、それについて書きます。件の記事はこちらです→
キャリア女性の貯蓄目標、2,000万円 現在の額に満足している人はわずか。
この記事に限らず、インターネット上では実に様々な貯金に関するアンケート記事が溢れています。そして多くの人達が各々の貯金観を披瀝されています。貯金に限らず、人それぞれいろいろな事象に対して独自の意見や見解を持つことは悪いことでは無いと私は考えます。ですが過度の周囲同調傾向が垣間見える場合も往々にしてあると私は捉えています。
どういう事かというと例えば「20代の平均貯金額は○○円!」とか、「定年退職までに最低○○円は貯めておきたい!」等の情報や意見があります。それに対して何の考え無しにそれらが絶対正しいとか、それらに機械的にでも何でもいいから従ってさえいれば人生安泰等と考えている人が多いように私には映るのです。
言ってしまえばそういう事も含め結局は「人それぞれの人生」なので周囲同調気質やその他の心情や行動原理を批判するつもりは毛頭ありません。この記事で私が書きたい事は「何故貯金?」という事です。貯金をする(出来る)人はまず「貯金が出来るほどの余剰資金がある」と言えるでしょう(生活を犠牲にしてまで貯金を最優先にしていない限りは)。この時点で、です。何故数あるであろう他の「お金の使い道」の中から貯金という選択を選択しているのでしょうか(貯金はそれだけは使うという範疇には含まれませんが、この記事では便宜上使い道と一括りにします)?
管見の限りでは、「もしもの為に」とか「老後の備えに」等の回答が多数派を占めているようです。ですがこの「もしも」がどのような場合を想定しているかは不明瞭です。その定義も曖昧なもしもに備えて金利が限りなくゼロに近い現在の金融機関に虎の子を預けておいて、果たしてどの程度まで対応できるでしょうか?また、これはもしもに含まれる事例でしょうが、図らずも亡くなったりお金をとても使えるような状態で無くなったとしたら、どうでしょう?お金やその他一切の現世の物体物質は現世でのみ有効でしょうから、使えない状態になってしまったら何の用もなさないのです。
また老後の備えに言及すれば、数十年後の日本はおろか世界がどうなっているかは現時点では全く定かでありません。例えば現時点で普及している貨幣価値が劇的に下がってしまったり、通貨制度そのものが廃止されたり別な概念に置き換わる可能性も無いとは全く言えないでしょう(現にジンバブエは国の通貨のジンバブエ・ドルを廃止しました、ギリシャは債務不履行の危機に瀕しています)。
他にも無論お金を取り巻く不確定要素はいろいろあるでしょう。自分が預けていた金融機関が突然潰れてしまう可能性さえあります。もしそうなれば預けていた資産の全てを取り戻せない場合もあり得ます。
ではかくいう私はというと、私も金融機関に預けているお金はあります。ですがそれらは月々の支払や日常において引き出すための用途です。金融資産の全額は預けていません。その他の使途としては例えば金融商品に投資したり書籍等の購入に充てたり身の回りの設備投資に回したり等が挙げられます。無論、このような私なりのお金の使い方が絶対正しい等と喧伝するつもりはありません。私がこのようにお金を使う拠り所は現時点において「この様に使えば自分にとって有益、何かしらの利益になりそう」という私の判断です。もちろん現時点でその答えが出るものもあれば、中長期的に観察しないと何とも言えないものもあるでしょう。ただ、その結果自体に単に一喜一憂するだけでなく、そこから自分なりに何かしら学び取り次へ生かせるようにしていくことが大切だと考えます。
また同時に私が考えている事は「若い時、健康な時こそいろいろ学び経験し将来的には貯金に過度に依存する事無く生きていける人間になる事」です。どういう事かというと、例えば私は今現在英語を学習しています。ですが英語力はいくら貯蓄に励んでも、いくら貯金があろうとも向上することはありません。長い時間をかけて少しずつ身につけていくものです。今は日常会話程度の英語力ですが、今後も継続し続けたとしてそれが貯蓄よりも大いに自分を助けてくれるとしたら、それは私にとっては貯蓄よりも価値が有ることなのです。これはいわゆる「自己投資」の考え方でしょう。
またお金は使ったり紛失したり盗まれたりすればそれで終わりです。しかし自分が「稼ぐ力・生き抜く力」を備えたとしたら、どうでしょう?自分が余程の問題に見舞われず生きている限りは、貯金額の事で頭を悩ませる必要も薄いのではないでしょうか?そう考えると元気な数十年の間に出来る事に全力で取り組み、時には傍から見たら散財とか贅沢とも受け取られかねないようなお金の使い方をしても、それが日々の活力になったり生きる喜びにつながったりするのなら、私はそれもまた良しと考えます。
多くの日本人が潜在的に「貯金は美徳」とか「散財は悪」とかお金にまつわる価値観があることでしょう。しかし戦後の高度経済成長期からバブル経済辺りまでの日本なら、郵便貯金の金利で長期的に預ければ資産が順当に増えるとか終身雇用が多数派だったとかの昔においては「常識」だったものが現在においては陳腐化している事例が多くあります。そのような現実を目の当たりにして私が思うのは「周囲がどうこうでなく、自分はお金についてどう思いどう使いたいのか」と自問自答し自分なりに納得のいく使い方をすればいいのではないか、という事です。
一説によると、日本人が亡くなる際に使わず貯めているお金の平均額は3500万円程、そして今現在の日本の、市場に出回っていない貯蓄額の総額がおよそ1600兆円程らしいです。無論、自分のお金なのだから自分のしたいようにすればいいでしょう。ですがこれらのうちの数パーセントでも「お仕着せでない、自分が納得した使い道」に回されれば日本経済も幾分が押し上げられるのではないでしょうか?
いずれにせよお金は道具の一つです。それを生かすも殺すも大体の場合は自分次第と思います。高名な人が言ったからとかメディアが伝えたから等の理由で安易にそれらに追従するのでなく、私はこれからも自分なりにお金の使い方について自分なりに考察し納得のいく関係・使い道を模索したいです。
では今日はやや長くなりましたが、これで終わります。本日もお付き合いありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。失礼します、さようなら。