Tuesday, June 30, 2015

私なりの英語学習の動機付けの源泉

おはようございます、タケヒコです。就寝後数時間で不意に目が覚めたのでブログを更新します。今日は私なりの英語学習の動機付けの源泉について書きます。
数年前にひょんな事から開始した独学英語ですが、学習を続ければ続ける程知らない事が次々に露呈しその度に英語の奥深さを感じる日々です。私にとってはその事自体が動機付けになっています。知らないことは多いが、何とかして少しでも理解したい、自分のものにしたいという欲求があるのです。所謂「知的好奇心」と言っても差し支えないかも知れません。
また他には、私は日々ネイティブスピーカーの英語を聴き続けていますが単に聴く事も私にとっては動機付けになりえます。どういう事かというと、(彼女ら・彼らはネイティブスピーカーなので当然でしょうが、)流暢に自在に英語を操る人たちに接し続ける事で「いつか私も」という気に駆り立てられるのです。またそれだけでなく、日々聴き続け折にふれて昔の自分を思い出すと「以前は大体聞き取れなかったのに、今は結構聞き取れるようになったな」と自分の進歩・成長を認識・確認出来ます。するとそれが良循環として回り出し「もっと成長したいから学習を続ける→続けると更に成長出来る→更に成長し快感を得て更に学習を…」という風になってきました。
他には「単純に英語を楽しむ」という点もあるでしょう。これは趣味とか好きなものに対するようなものです。人それぞれ趣味とか好きな対象はあるでしょう。そしてそれらには大体は楽しいとか嬉しいとかの感情を伴い、時間を費やしたり無心になって没入したりするでしょう。それが私と英語の間に今起こっているのです。
「好きこそ物の上手なれ」とも言います。人間好きな対象には頑張れると私は考えます。逆に「やらされ感」が支配的になればそれだけ苦痛になる恐れがあります。こと英語やその他第二言語学習には障壁があるでしょう。特に学習開始当初は好きな感情や根気が無いと辟易し苛立ち学習が停滞し最悪の場合は学習自体を辞めてしまう場合もあるでしょう。
人によってどのような動機付けが学習継続に効果的・有効かは異なる場合があるでしょう。例えば海外の友達を作りたいとか、TOEICとかの試験で高得点を目指したいとか、字幕なしでテレビや映画を観たいとか、まぁ有り体に言えば自分が英語学習に熱中したりワクワク感を抱けれるようになれば何でもいいのです。しかしこれが「最近英語ブームだから」とか「何となく役に立ちそうだから」とかの漠然とした、かつ非主体的な動機ではともすると継続は難しい場合が多いかもしれません。
グローバル化が叫ばれる今日、英語必要論と不要論が両者譲らず勃興しているようです。私の立場としては「国策として強力に推進されない限り、学習するもしないも個人の選択に委ねられる」です。それは人生の時間を何に費やすかは個人の選択であり、どうせ選択するなら自分の好きなやりたい事をすべき、という私の考えに基づいています。その基準の上で私は英語学習をする事を選択したまでです。まぁ私としては、英語力が向上すればその後の人生の発展に寄与すると考えたのも学習開始の理由の一つではあります。
では今日はこれで終わります。本日もありがとうございました。また次回の私の記事で皆さんとお会いしたいものです。失礼します、さようなら。


Monday, June 29, 2015

最近は歩くと汗だく

こんばんは、タケヒコです。今日も早速ブログを始めましょう。今日は最近の私の散歩について書きます。
私は運動不足解消と気分転換の為に大体毎日数十分から1時間程自宅付近を散歩しています。歩く速度は可能な限り速くしています。疲れますが気持ち良いです。ですが最近は気温が高くなってきたので歩いている途中から汗をかき出します。ちなみに私は散歩時の服装は普段着です。衣類がびしょびしょになる程ではないですが、結構な量の汗が出ます。しかし体重が減少しているようには思えません。
散歩終了後直ぐにシャワーを浴び、その後冷えた発泡酒を一気に飲み干すと相当気持ち良いです。そしてしばしゆっくりしてから夕食を調理し頂きます。歩いてやや疲労を感じ空腹感も高まった後の夕食もこれまた美味しいです。
以前は運動する習慣が無かった私ですが、一度習慣になってしまえば極力毎日歩きたくなりました。むしろ歩かない日は残念にすら思います。歩くことで運動不足を解消出来、気分転換にもなりかつ頭も心無しかスッキリするように思うので、散歩は手軽にお金をかけずに出来るので費用対効果はかなり高いと私は考えます。これからも自分の足で歩ける限りは歩き続けたいものです。
では今日はこれで終わります。本日もありがとうございました。また次回も是非お会いしたいものです。失礼します、さようなら。


英語をひたすら聴き込んだ結果

こんばんは、タケヒコです。今日も早速始めましょう。今日は私が英語を毎日少しずつ根気よく聴き続けた結果について書きます。
私は数年前に独学で英語学習を開始しました。その時から出来る限り英語を聴くように心がけてきました。理由としては、私達人間が生まれてから母国語を習得する過程の始まりは「まずその言語を聴くこと」から始まり、それが言語学習に適した方法だと言うのを方々から聞いたからです。
聴く対象はポッドキャストやユーチューブや英語学習のCD等多岐に渡りますが、共通しているのは「ネイティブスピーカーかそれに準ずる人が話す英語」のみを聴くという点です。そうする事でよりネイティブスピーカーの発音が身近になり発音のお手本にも聞き取りの練習にもなると考えたからです。
開始した当初は、何となく英語を話しているという事は分かるのですが内容は愚か、知っている簡単な単語が辛うじて聞き取れる様な状態でした。ですがそれな気にせず無心で聴き続けました。またそれと平行して単語学習も開始しました。ユーチューブには字幕が、ポッドキャストには英語の原稿があるものがあればそれらも見て聞いた英語と実際話していた英語との照会をしました。
そして開始してから3年程経った今では随分と聞き取れる様になり意味や会話の内容も段々理解や推測出来るようになりました。
今私は「英語をそのまま聞いて理解する」状態です。つまり「逐一日本語に脳内変換しない」という状態です。これは相当楽です。何故なら「英語→日本語」という変換作業の手間が無いからです。実を言うと私は中学高校の時分に英語を授業で習っていた際には、英語を聞いた際には日本語へと脳内変換作業を盲目的にしていました。その際に思ったことと言えば「英語を聞いて内容を理解するには、英語→日本語の脳内変換作業の速度と効率をかなり上げないと難しい」という事です。ですがこれでは自然な会話の速度に付いていけないばかりかただでさえ不慣れな第二言語を聴くのに疲れ、最悪英語嫌いに成り兼ねないと、今にして思います。と言うか実際そういう事もあって、一度私は英語を諦めました。
ですがその後いろいろと英語力のある(とされている)日本人の話や情報を見聞きするにつれて「英語は英語で理解するのが理想」という事に気づきました。晴天の霹靂でした。しかし論理的に考えてみれば、当然といえば至極当然なのでしょう。私達日本人は普段日本語を聞いたり使う際には「他のどの言語にも逐一脳内変換していない」のですから。しかし事英語に関しては、もう既に「日本語という第一言語」が存在しているので知ってか知らずか日本語に依存してしまう場面が発生してきてしまうのです。私もご多分に漏れずその一例でした。
私は英語学習の際には英英辞書を使用したりネイティブスピーカーの英語に接したりしています。ですが例えば「その言葉は日本語では知っているが英語では知らない」場合はグーグル検索で「○○ 英語」と検索します。ただし、その際は必ず英英辞書やグーグル検索等を用いて意味や用法の裏付けをします。そうすることで実際の英語と日本で認識されているそれとの乖離があれば発見し誤用・誤解を防ぐ事が出来るからです。ほんの一例ですが、海外の映画やテレビの字幕あり吹き替え版に対して「英語で話している内容と字幕があまりにもかけ離れすぎている」という批判を見聞きする場合があります。これも意図的に意訳している場合もあるかもしれませんが、英語訳の誤解や用法の誤りが原因の場合もあるかも知れません。
話を聴き取りに戻すと、大量に聴き込む事により多くの単語や表現と出会えます。それらを学習すれば自分の語彙や表現力が向上します。それに加え文章での英語と口語のそれは発音や表現法が異なる場合があるのでそれらの違いにも気付いたり慣れたりするのにも役立つでしょう。また私個人の体感では「記憶に定着しやすい」と思います。特に同じ人が出演しているユーチューブやニュースのポッドキャスト等は随所に定形表現が散りばめられていますので、それらを繰り返し聴くことによりより記憶しより思い出せるようになりました。
また、忍耐力も向上したように思います。これは聴き取りだけでなく英語学習全体に通じて言えることですが、最初の段階では知らなかったり出来ない・分からないと「ないない尽くし」なのでひいては我慢しきれず痺れを切らし学習のモチベーションが低下してしまう恐れもあります。ですがそれでも何とか出来る限り集中し忍耐をもって根気強く続けようと意識が養われた様に思えます。そうすると次第にゆっくりとでも分かったり理解できる対象が増えるのでそうなってくれば占めたもので、自分の成長が感じられそれが更に「もっと頑張ろう!」という自家栽培の動機付けの源泉にもなるのです。そこから良循環に突入し、どんどん英語学習の魅力(魔力としても言い得て妙かも知れません)に引き込まれ学習が苦になるどころか生活の一部、むしろそれを一日少しでもしないと不安・落ち着かない・ストレスの元凶になるといったものにさえ昇華出来るでしょう。
では今日はこれで終わります。本日もありがとうございました。また次回の私の最新記事でお会いしましょう。失礼します、さようなら。



Sunday, June 28, 2015

怒りっぽいといろいろと損

こんにちは、タケヒコです。では早速今日の記事を始めましょう。
私は怒りっぽいといろいろと損だと考えています。実を言うと私は今より若い時分には相当短気で荒ぶれていた類の人間でした。犯罪を犯したり暴力を振るったりする訳では無いのですが、瑣末な事に対して短絡的に感情的に激昂しその度に怒りをぶちまけていました。大声で粗野に怒鳴ったり罵詈雑言を吐いたり悪態をついたりと、それはもう今にして思えば懐かしくもありまた、何故あのような性格・言動だったのかと寧ろ微笑ましくもなってしまいます。
それは成人した後も続いたのですが、成人してから数年程経ち自分でいろいろ考えて見るようになりかつ人生に行き詰まりを感じていた私は何とかして意識的に怒らない様に意識改革を始めました。改革を始めてから何とか理性を保とうと奮闘した結果、それ以前の攻撃的な人間性は鳴りを潜め、柔和で物腰の穏やかな人格を手に入れる事に成功しました。
以前の自身の怒りっぽい性格を振り返ってみると、常に陰惨とした後ろ向きな暗く冷たい心持ちが圧倒的だったように思えます。何事に対しても負の印象や感情しか抱けず夢も希望も何もあったものではありませんでした。これでは精神衛生上よくないでしょう。それに怒るという行動は自分のエネルギーを相当費やすのでかつ怒り終わった後は困憊し嫌な気持ちになるので余計に怒り苛立つという悪循環でした。また人相にも負の性格・感情が滲み出てくるのでしょう、周囲から冷たくあしらわれたり嫌われたり相手にされなくなりやすかったように思えます。
しかし今は気持ちに余裕が出来、視野を広く持ち常に冷静に構え、人生やいろいろな事象や物事を積極的・積極的に楽しもうと努めています。そして何事か自分に起こっても安直に短絡的に反射的に反応するのでなく、客観的に起こった事象を観察し自分が妥当であるだろうと思う対応をするようにしています。するとどうでしょう?以前よりも物事が円滑に進められるようになったのです。人の意見に耳を傾けるようにもなりました。それに負の感情は消え失せ楽しいとか嬉しいとか面白いとかの正の感情に満ち溢れるようになったのです。そうなれば更に人生を楽しく充実させるにはどうしたらよいかと自分であれこれ思考し試行してみるようにもなりました。悪循環から脱出し良循環に移行する事に成功したのです。
昔から犯罪の中には「カッとなってやった」とか「気づいたらキレていた」等と、怒りの感情が先行して引き起こされた例があります。人それぞれ事情はあるでしょうが、私が思うに常日頃から意識的に自分の感情を制御するように努めていれば起こらなかった・防げたであろう事案もあった事でしょう。怒りが自分に与える悪影響に気付け自己改革出来た私は本当に幸せでした。
では今日はこれで終わります。本日もお付き合いありがとうございました。また近いうちに是非お会いしましょう。失礼します、さようなら。


Saturday, June 27, 2015

異質・斬新なのものをどんどん知りたい・取り入れたい

こんばんは、タケヒコです。日付変わって土曜日の夜半過ぎ、皆さん如何お過ごしでしょうか?私はなかなか寝付けずついついブログを更新しています。
今日は異質・斬新なのものについての私の考えを書きます。結論を言うと私はどんどん異質のものに触れ知りそれらを積極的に生活に取り入れたい部類です。斬新なものはまだしも、異質なものについては人によっては距離を置きたがったりあまりいい印象を抱かない向きもいらっしゃるかも知れません。
異質・斬新なものを煙たがる人は例えば「次から次へと新しいものが出てくるので付いていけない」とか「得体の知らないものに関わると何か悪い結果につながるかも知れない」等の後ろ向きな理由があるのでしょう。かくいう私も以前はそうでした。例えばパソコン。私が初めてパソコンを購入したのは今から約5年程前ですが、それ以前はガラパゴス携帯電話にてインターネットこそ使っていましたが、それで十分と思考停止していました。ですがニュースや人づての情報等から次第に興味が膨らみ、やがてパソコンという自分にとっての「異質・斬新なもの」を手にしました。
実際にパソコンを使ってインターネットをしてみると、携帯電話では閲覧出来なかったサイトも閲覧出来るようになり世界が広がりました。また、以前にも記事に書きましたがタッチタイピングが出来るようになったら文字入力の精度・速度が向上し、こうしてブログ記事を書いたりインターネット上やメール等で文字入力するのも楽に出来るようになりました。
他にも英語。以前に記事に書きましたが、充実したネット環境を手にした事も後押しし、英語に目を向けるようになりました。それ以前は学校の授業を受けたり英語の聞き取りに一時手を出したりした時期もありましたが、基本的には日本に生まれ育ち日本語しか話せない私にとっては「異質なもの」でした。ですが一念発起し学習を開始し数年が経った今では、英語に慣れてきて英語で発信された情報やニュースも理解出来るようになり、これまた世界が広がりました。
上記の2例は成功例ですが、無論導入した結果失敗に終わる恐れもあるでしょう。ですが私はそれでもなお積極的に異質・斬新を求めたいです。
その理由は、一つは「出会いの可能性が高まる」からです。例えば従来の自分の興味があるものや慣れ親しんだ物事にしか意識を向けない様にバイアス・フィルターを設けてしまっては、当然興味のない物事は知らないままです。これでは、出会っていればひょっとしたら興味を持ちその後の自分の人生を劇的に変えるきっかけになり得たかも知れない物事とも出会えません。そう考えたらまずはどんどん知らなかったり変わっている様な一見近寄りがたい物事にも自ずと積極的になった方がいいという事です。
もう一つは、「自分の感性や創造性が醸成される」という事です。日々同じ様な人や物事にばかりにのみ囲まれた生活を漠然と機械的に送ってしまっては、なかなか感性や創造性は育めないと私は感じます。ですが次から次へと世にどんどん輩出される異質・斬新な物事を意識的・積極的に探し出し触れ続けていれば、どうでしょう?例えば人気動画を提供するYouTuber。ニュースや口コミ等でその存在を知っても「興味が無い」と切り捨てるよりも、「面白そう。自分も何か出来ないか?」という意識になればそこから自分なりにいろいろ考え試してみるという事につながる可能性が出てきます。その様にいろいろ考え試行錯誤する事により新たな発見や発明をもたらすという事も、決して絵空事でなく十二分にあり得る話です。
最後の理由として「人生何が役立つか分からない」という事です。情報化社会と揶揄され久しいです。その気になれば異質・斬新その他多くの物事について知る事の出来る機会は増えています。そして少しでも多くの物事を知っていたり経験していればそれが後々思いもかけない形で人生の助けになる可能性があります。言ってしまえば「点と点がつながり線へ面へ、そして立方体へ」という風にどんどん膨らんでいくという事です。ですが「自分には興味がない」とか「今のままで十分」となってしまったままではまず手始めの「点」の絶対数が少ないのでその後の「線や面・立方体への昇華」にもつながりづらくなるでしょう。
時代の流れが速いと言われている今日です。昨日までなかった物事が、翌日にはひょっこり出現するということも頻繁に起こっています。そしてそれらの中には自分や世の中を更に便利に快適にしてくれるものがあるでしょう。しかしそれらは「異質・斬新」なものばかりです。それらを「機会」と捉えるか「リスク」としか見做さないかは個人の自由です。私は自分の人生の可能性を広げるべく、これからも積極的・意識的に異質・斬新を探し求め続けたいです。
ではもうじき夜も明けますのでこれで終わります。本日もお付き合いありがとうございました。また次回の記事で是非お会いしたいものです。失礼します、さようなら。


Friday, June 26, 2015

英語において発音は重要

こんにちは、タケヒコです。今日は花金(花の金曜日の省略形)とは、翌日が土曜日で休みの人が多く、かつその人達が翌日休みだから金曜日の夜くらいは夜更けまで外で飲み食いしたり夜半まで遊び歩く事が出来るであろうというというような事を言う表現らしいです。また英語圏ではT.G.I.F(これはThanks God it's Fridayの省略形)という、金曜日を神に感謝しようという様な意味合いらしく、差詰め日本語の「花金」よろしく金曜日に使われるらしい定形表現です。
では今日の本題に移ります。今日は英語の発音について、私なりに書きます。2,3年英語を独学している私が思うに、発音は非常に重要です。
何故なら、英語には似たような発音の単語が多く、正しく発音出来ないと相手に誤解を与える、もしくは正しく聞き取れないと誤解の原因になるからです。例を上げましょう。
rightlightという、日本でも馴染みがあるであろうこの2単語ですが、発音が異なるります。リンク先のスピーカーマークをクリックすると、実際にネイティブスピーカーが発音した発音を聞くことが出来ます。そして、スピーカーマークの左隣りにある文字は「発音記号」といい、英語でどのように発音するかを示すものです。この発音記号を学べば、英語でどのように発音すればいいかが分かるようになります。
また英語は日本語と違い抑揚、つまりアクセントが大切です。実を言うと私は独学で英語学習を開始するまで、英語を話す人達は大げさに、役者が舞台やテレビ等で様に話す喋るんだと感じていました。しかしそれというのは実は各単語のアクセントを意識しての事だと、学習を始めてから理解しました。日本語はどちらかと言えば平坦な語調の言語なので、それも相まってとても不思議でした。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、英語には「日本語にない発音」が多数あります。例えばthinksinkはカタカナ表記すればどちらも「シンク」とされるでしょう。がこの2つの単語は発音が異なります。なので日本人が話す英語に詳しくない英語話者が日本語同様平坦に発音された「シンク」は何を指しているのか分かりません。ちなみにサ行の発音も英語では二通りあります。例えばsheseaはこれまたカタカナ表記すれば「シー」でしょうが、それらの発音記号に注目してみれば、異なる発音という事が分かります。
無論日本語同様に文脈や相手の表情や言い方等から言っている事を理解しようとしたり、相手に理解してもらおうとするも出来る場合はあるでしょう。ですがそれは確実ではないですし、長い目で見た場合にはやはり発音を基礎練習と捉え地道に英語を聞き込み自分で実際に発音を真似てみるという事が非常に重要だと私は痛感しています。
勿論、ネイティブスピーカーの様な発音を完全に出来ればそれに越したことはありません。ですが私も実感していますが英語を母国語としない人にはそうとう難しいでしょう。だからと言って日本語英語でいいんだとしてしまってもそれはそれで進歩は止まってしまいます。今現在自分のレベルで出来ることを続けていけば少しずつでもレベルは上がりひいては出来る事が増えていきます。私はそう考えます。
では今日はこれで終わりにします。本日も閲覧ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。失礼します、さようなら。


Thursday, June 25, 2015

積極的・活動的・自主的・主体的・能動的な人生が楽しい

こんにちは、タケヒコです。突然大雨が降ったり蒸し暑くなったりの最近ですが、如何ですか?さて今日は私が考える楽しい人生について書きます。
私は、積極的・活動的・自主的・主体的・能動的な人生が楽しいと考えています。それは私が拙い人生経験を通して今現在辿り着いた今現在の価値観です。
人それぞれの、人生の捉え方・認識が様々だと思います。また性格に関しても楽天家だったり慎重派だったり活発だったり内向的だったりと千差万別な事でしょう。しかし私はどれが正解とかどれが一番妥当だ等と宣うつもりは全くありません。言ってしまえば、自分に適している生き方や性格が理想だという事です。その上で、私は先述の人生が今の私にとって楽しいと思っています。
正直に言えば、実は私も今に至るまでに実に様々な出来事がありました。詳細は割愛しますが、今に至るまでにいろいろと自身の生き方や性格に対して悩み・苦しみ・葛藤・無力感・絶望・苛立ち等の負の感情を大いに抱いていました。しかし今の私はいろいろと経験しどうすればいいか自分なりに考え行動した結果、一種の悟りの境地に到達した様に感じます。つまり、「この様に生きればいいのでないか?」という自分なりの結論を導き出せたのです。
無論、これは今現在の私の置かれている状況に即したものですので、他の私とは境遇も価値観も人生の背景・文脈も全く異なる方々にも適応出来る訳ではないでしょう。それに将来的には私自身にとっても理想的で妥当な生き方ではなくなっているかも知れません。ただ言えることは、自分の核の部分は大体は形成できたという事でしょう。つまり、自分が拠り所にする「基本的な思考体型・価値観」です。
これは言ってみれば好き嫌いの様なものです。例えば、時間にだらしなくなると後々に悪影響を及ぼすであろうから、時間意識はキッチリとするとか、清潔感を保っていると自分や周りが気持ち良いだろうから、常に小ギレイな身なりを心がける、等といった自分なりの基軸です。これが確立されていれば自分の行動原理の基準が明確になりますので、それに従って人生の様々な場面において自分が取るべき、または取りたい選択をより簡単に出来るようになるります。そうなると、悩む頻度もかなり減るでしょう。
やや前置きが長くなりましたが、題名の生き方の何が楽しいかについて触れます。積極的とか自主的とかいろいろ書きましたが結局は、「まずは自分でどうにかしようとする人生」とまとめてもよいでしょう。つまり出来ることは極力自分で考えて自分で解決させようとか意識的にいろいろ行動してみようという事です。勿論、一人で出来ることには限りがあります。ですがいろいろと積極的に行動するようにしてみると、いろいろ経験出来たり出来ることや知っていることが増えます。それが私にとって楽しいのです。
そしていろいろな経験が蓄積され知見や出来ることが増えれば更に次に何かに挑戦したり試したりする時に役に立つのです。そしていろいろ知っていていろいろ出来ると言う事は、それはひいては豊かで快適で楽しい人生にも繋がっていると私は考えます。
そしてまた、「人生に退屈したくない」という気持ちもあります。今は一人あたりの寿命が延びています。それに昔に比べ実に様々な好奇心をそそる、刺激的な物事に溢れています。その中には私が興味関心を抱くものも多く含まれます。そういう物を目の当たりにしてまで日々を退屈に過ごしたくないのです。私は今英語を独学で学習していますが、それは私にとって「積極的に能動的にしたい対象」なのです。そして現に英語力が少しずつついてきた今は、世界中の情報やニュースを英語を介して見聞きし理解出来るようになってきています。その結果、日本語のみでは知り得なかった、出会えていなかったであろう物事にも出会える様になりました。これは実に楽しく気持ちの良いことです。
では今日はこれで終わります。本日もお付き合いありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしています。失礼します、さようなら。


Wednesday, June 24, 2015

英語習得には時間がかかる?

おはようございます。タケヒコです。本日もいらっしゃいませ。では早速今日の記事を始めます。
今日は英語習得にかかる時間について書きます。初めに断っておきますが、私はネイティブスピーカーの様な英語力には未だ程遠いのですが、その私なりに自身の英語学習を通して得た・感じたものを元に書きます。また習得という言葉の定義ですが、この記事では便宜上「大体の日常生活の場面において、まず支障をきたさないであろう英語力を手に入れること」とします。
私は2~3程前から独学で英語学習を開始しました。それ以前の私と英語の接点は以前の記事にも書きましたが、中学・高校の計6年間にもありました。ですがそれら全てを合計してもなお、私自身としては到底「英語を習得した」とはお世辞にも言い難いと認識してます。
では何故でしょう?まず「中高の6年間」という期間が曲者です。6年間と言っても、授業時間は一日1時間として週に5日の授業なら週に5時間です。それを1年52週として5×52=260時間ですが夏休み等の長期休暇等を差し引けばそこから更に時間は減りますからかなり大雑把に見積もって年間200時間前後の学習時間とした場合、6年間で1200時間程です。
果たして相当な期間毎日間断なく接し続けた母国である日本語と同様に、1200時間程の日々の細切れ時間に学習した第二言語である英語を日本語同様とは当然行かないまでも、「習得した」と言い切れる状態にまでなれるでしょうか?
1200時間と言えば、一日仮に12時間の活動時間とした場合、100日分に相当します。毎日ネイティブスピーカーの英語に接し続けられる環境の下で言語習得に適している手法をもって学習し続けたならば或いは、個人差こそあるものの、英語力は身に付くと私は考えます。しかし「習得した状態」と問われれば大いに疑問符が付きます。
私は英語でも何の言語でも「道具の一つ」と見做しています。つまり、慣れるまでは扱いが難しいが慣れれば使えるようになると考えています。自転車の運転やパソコンの使い方等と相通ずる事だと言えるでしょう。ですが大きな違いとして「慣れるまで・習得するまでに相当な期間を要する」という点が挙げられるでしょう。
私は自動車の免許を取得しましたが、その際は自動車学校に通いました。法定の学科と実技の授業を受けその両方の試験に合格して免許証は交付されます。なお、最低授業時間は法定で定められているようです(最低というのは、成績いかんによっては追加授業を受ける必要があるという事です)。一昔以上前の話なので記憶が定かでありませんがさりとて100時間も費やしてはいません。それでも自動車は運転出来るようになりました。これも個人差はありますが多くの人が法定時間以内の授業で運転出来るようになっているのを見ると、英語程習得が難しいとは言えないと言って過言では無いのでしょう。
英語では学ぶことが大量にあるのは事実でしょう。例えば語彙や文法や発音等いろいろあります。それに加えて、これは私の経験からですが、一度学習しただけは大体の場合忘れる点や箇所が出てきます。なので一度学習した内容を何度かやり直す必要も出てきます。そう言った事を地道に繰り返すだけでも1200時間なぞはあっという間に消費してしまう事でしょう。
無論、時間を費やすのが目的でなく、英語を大体の場面において支障なく使えるようになるのが当面の目的なのですから、短期間で習得できるのならそれは素晴らしいと思います。巷にはいろいろ英語の教材が氾濫しており例えば「○○日であなたもペラペラ」とか「これを使うだけであっという間にバイリンガル」とかいろいろ商品があるようです。ただ私の拙い学習経験からすると、それらの信憑性は低いと感じます(無論、私の知らない何か画期的な技術や学習法があるなら別ですが)。それに私見ですがもしそれらが本物であればもっと英語ペラペラの日本人が増え見聞きする機会が増えたり、それら教材が脚光を浴び社会現象になったり教育の現場に投入されたりと何かしらの反響があるような気がするのですが、私はそのような事実を寡聞にして知りません。
ここまで読んで「では英語習得は永遠とも思える程難しい、或いは不可能なのか」と言えば、私はそうとも思いません。これも私独自の経験に基いていますが、私は独学で学習を開始した数年前に比べれば英語力はゆっくりと、ですが確実に向上しているのを実感しています。当時は全くと言っていい程聞き取れなかったユーチューブの英語の動画やBBCのラジオ番組等も、今ではかなり聞き取れるようになりました。話している内容も、確実に分かったり推測できる時も多いです。
私は自身の学習経験から、いきなりは難しいですが、時間をかければ確実に英語力は向上できると私は実感しています。正に継続は力なりです。しかも学習開始当初は分からないことだらけですが、ある程度学習が進み理解度が深まればそれが更なる原動力となり加速度的に以降の学習効率の向上も期待できるでしょう。そして気がつけば知っている・分かる事が多くなりその重畳が結局は「英語を習得した状態」に近づく道程なのだというのが私個人の立場です。
では今日はこれで終わります。本日もお付き合いありがとうございました。また次回の記事にてお会いしましょう。失礼します、さようなら。


Tuesday, June 23, 2015

貯金しなければ、駄目?

こんばんは、タケヒコです。本日もご訪問ありがとうございます。では早速本日の記事を始めます。
今日はインターネットで私が見つけた記事についていろいろと私なりに思うところがあり、それについて書きます。件の記事はこちらです→キャリア女性の貯蓄目標、2,000万円 現在の額に満足している人はわずか
この記事に限らず、インターネット上では実に様々な貯金に関するアンケート記事が溢れています。そして多くの人達が各々の貯金観を披瀝されています。貯金に限らず、人それぞれいろいろな事象に対して独自の意見や見解を持つことは悪いことでは無いと私は考えます。ですが過度の周囲同調傾向が垣間見える場合も往々にしてあると私は捉えています。
どういう事かというと例えば「20代の平均貯金額は○○円!」とか、「定年退職までに最低○○円は貯めておきたい!」等の情報や意見があります。それに対して何の考え無しにそれらが絶対正しいとか、それらに機械的にでも何でもいいから従ってさえいれば人生安泰等と考えている人が多いように私には映るのです。
言ってしまえばそういう事も含め結局は「人それぞれの人生」なので周囲同調気質やその他の心情や行動原理を批判するつもりは毛頭ありません。この記事で私が書きたい事は「何故貯金?」という事です。貯金をする(出来る)人はまず「貯金が出来るほどの余剰資金がある」と言えるでしょう(生活を犠牲にしてまで貯金を最優先にしていない限りは)。この時点で、です。何故数あるであろう他の「お金の使い道」の中から貯金という選択を選択しているのでしょうか(貯金はそれだけは使うという範疇には含まれませんが、この記事では便宜上使い道と一括りにします)?
管見の限りでは、「もしもの為に」とか「老後の備えに」等の回答が多数派を占めているようです。ですがこの「もしも」がどのような場合を想定しているかは不明瞭です。その定義も曖昧なもしもに備えて金利が限りなくゼロに近い現在の金融機関に虎の子を預けておいて、果たしてどの程度まで対応できるでしょうか?また、これはもしもに含まれる事例でしょうが、図らずも亡くなったりお金をとても使えるような状態で無くなったとしたら、どうでしょう?お金やその他一切の現世の物体物質は現世でのみ有効でしょうから、使えない状態になってしまったら何の用もなさないのです。
また老後の備えに言及すれば、数十年後の日本はおろか世界がどうなっているかは現時点では全く定かでありません。例えば現時点で普及している貨幣価値が劇的に下がってしまったり、通貨制度そのものが廃止されたり別な概念に置き換わる可能性も無いとは全く言えないでしょう(現にジンバブエは国の通貨のジンバブエ・ドルを廃止しました、ギリシャは債務不履行の危機に瀕しています)。
他にも無論お金を取り巻く不確定要素はいろいろあるでしょう。自分が預けていた金融機関が突然潰れてしまう可能性さえあります。もしそうなれば預けていた資産の全てを取り戻せない場合もあり得ます。
ではかくいう私はというと、私も金融機関に預けているお金はあります。ですがそれらは月々の支払や日常において引き出すための用途です。金融資産の全額は預けていません。その他の使途としては例えば金融商品に投資したり書籍等の購入に充てたり身の回りの設備投資に回したり等が挙げられます。無論、このような私なりのお金の使い方が絶対正しい等と喧伝するつもりはありません。私がこのようにお金を使う拠り所は現時点において「この様に使えば自分にとって有益、何かしらの利益になりそう」という私の判断です。もちろん現時点でその答えが出るものもあれば、中長期的に観察しないと何とも言えないものもあるでしょう。ただ、その結果自体に単に一喜一憂するだけでなく、そこから自分なりに何かしら学び取り次へ生かせるようにしていくことが大切だと考えます。
また同時に私が考えている事は「若い時、健康な時こそいろいろ学び経験し将来的には貯金に過度に依存する事無く生きていける人間になる事」です。どういう事かというと、例えば私は今現在英語を学習しています。ですが英語力はいくら貯蓄に励んでも、いくら貯金があろうとも向上することはありません。長い時間をかけて少しずつ身につけていくものです。今は日常会話程度の英語力ですが、今後も継続し続けたとしてそれが貯蓄よりも大いに自分を助けてくれるとしたら、それは私にとっては貯蓄よりも価値が有ることなのです。これはいわゆる「自己投資」の考え方でしょう。
またお金は使ったり紛失したり盗まれたりすればそれで終わりです。しかし自分が「稼ぐ力・生き抜く力」を備えたとしたら、どうでしょう?自分が余程の問題に見舞われず生きている限りは、貯金額の事で頭を悩ませる必要も薄いのではないでしょうか?そう考えると元気な数十年の間に出来る事に全力で取り組み、時には傍から見たら散財とか贅沢とも受け取られかねないようなお金の使い方をしても、それが日々の活力になったり生きる喜びにつながったりするのなら、私はそれもまた良しと考えます。
多くの日本人が潜在的に「貯金は美徳」とか「散財は悪」とかお金にまつわる価値観があることでしょう。しかし戦後の高度経済成長期からバブル経済辺りまでの日本なら、郵便貯金の金利で長期的に預ければ資産が順当に増えるとか終身雇用が多数派だったとかの昔においては「常識」だったものが現在においては陳腐化している事例が多くあります。そのような現実を目の当たりにして私が思うのは「周囲がどうこうでなく、自分はお金についてどう思いどう使いたいのか」と自問自答し自分なりに納得のいく使い方をすればいいのではないか、という事です。
一説によると、日本人が亡くなる際に使わず貯めているお金の平均額は3500万円程、そして今現在の日本の、市場に出回っていない貯蓄額の総額がおよそ1600兆円程らしいです。無論、自分のお金なのだから自分のしたいようにすればいいでしょう。ですがこれらのうちの数パーセントでも「お仕着せでない、自分が納得した使い道」に回されれば日本経済も幾分が押し上げられるのではないでしょうか?
いずれにせよお金は道具の一つです。それを生かすも殺すも大体の場合は自分次第と思います。高名な人が言ったからとかメディアが伝えたから等の理由で安易にそれらに追従するのでなく、私はこれからも自分なりにお金の使い方について自分なりに考察し納得のいく関係・使い道を模索したいです。
では今日はやや長くなりましたが、これで終わります。本日もお付き合いありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。失礼します、さようなら。


Monday, June 22, 2015

人生の楽しみとは?

こんばんは、タケヒコです。今日は私なりの人生の楽しみ方についての考え方を開陳します。
人それぞれ楽しい物事は異なるでしょう。例えば私の場合は英語を学習したり動画を撮影してユーチューブに投稿したり散歩をしたり美味しいものを食べたりインターネットに興じたりするのが意味現在の私の人生においての楽しみです。私と似たような楽しみをお持ちの方もいらっしゃるでしょうし、私が楽しみとしている物事に全く興味を抱かない人もまたいるでしょう。
私の立場としては「人それぞれ楽しみの対象は違っていい」です。ですが人によっては何を人生の楽しみにしたらいいか皆目検討がつかない人もいるようです。言ってしまえば何でもいいのです(無論、法に抵触したり他人に迷惑をかけない範疇で、です)。特に最近は世の中に無料有料問わず実に多種多様な物が存在してます。ですので人によっては目移りして迷ってしまう人もいるでしょうが、大体の人は何かしら自分が興味関心を抱ける対象が見つかると思います。
自分が何に興味があるとかどのようなものが好きだとかは「実際に自分がその対象と出会わなければ分からない」と私は考えます。なので一つでも多くの物事と出会えれば、それだけ自分が夢中になれる、打ち込める対象が見つかる可能性が高まると考えます。
またそれとは別に、「日常にちょっとした楽しみを見出そうとする意識・姿勢」も人生をより楽しむために重要な要素だと考えます。例えば通勤や通学途中のいつもと同じ見慣れた風景でも、キレイなお花が咲いていたいとか、新しいお店が最近出来たとか、そう言った変化に意識的に反応し楽しみを見出そうとする姿勢です。そうなればちょっとした事でも楽しいと感じられるようになり、ひいては日々の退屈で殺伐とした空気を払拭し精神的に安定・充実出来るようになると私は考えています。
思うに人生において楽しい物事が増えればより明るく快活に健やかに日々を過ごせるでしょう。そうなればちょっとくらいの嫌なことにも深く悩まされずに意識がより楽しい方向へと向くと考えます。そうなれば日々において笑顔になる頻度が増しそれが周囲にも伝播し自分の周囲に明るく笑顔の人たちが集まるようにもなるでしょう。また普段から楽しそうに明るく過ごしていると思わぬ新しい人との出会いも訪れるかも知れません。他にもいろいろ事例の枚挙に暇がないですが、人生の両循環のきっかけにも繋がるかも知れません。
いずれにせよどうせ人生を生きるのなら辛く苦しくつまらない日々よりも少しでも明るく楽しく元気よく過ごせる方が良いでしょう。そしてそうなる為には私はまず人生において積極的に些細なものでも構わないから楽しみを見出そうとする事が大切だと感じています。
では今日はこれで終わりにします。本日も閲覧下さりありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしています。それでは失礼します、さようなら。


Sunday, June 21, 2015

タッチタイピングは便利

こんばんは、タケヒコです。梅雨たけなわの最近、皆さん如何お過ごしですか?さて今日はパソコンのタッチタイピングについて書きます。
私はPCでインターネットを利用しています。何か文字を入力する時はキーボードで入力していますが、その際は手元を一切見ずにパソコン画面を見ながら文字入力しています。いわゆるタッチタイピングです。私がタッチタイピングを習得したのは今から大体4年程前でしょうか?私はタイピングソフトをパソコンに導入し、日々地道に練習しました。
最初は当然文字配列なぞ分からないので、手元を見ながら各指が担当する文字群を覚えるのに懸命でした。FとJの位置に小さな凹凸があります。そこに左右の人差し指を添えます。これは所謂「ホームポジション」です。そこを起点にし後は入力したい文字へと各担当の指を運んで入力していきます。
慣れた今でこそ当然の如く滑らかに入力出来るようになっていますが、練習を開始した当初は「本当に手元を見ずに素早く自然に入力出来るようになるのか?」と思っていました。ですが結局それは杞憂に終わりました。タッチタイピングが出来るようになった実感として「自分が入力したい文字を指が自然に入力してくれる状態」と例えられます。これは車の運転等と同じで、最初こそ逐一考えながら止まり止まり入力するのですが一度指が文字配列を覚えてしまえば後は指が勝手に動いてくれている状態です。
この状態と共通した状態が「私が日本語を使っている時」です。私は大体の日常生活に置いては言葉の意味や用法に過度に意識を向けずに自然に最適であろう日本語を選んでいます。これは長年の訓練と慣れの賜物と私は考えています。ならば、です。同じ人間が使う言語である英語も、長期間訓練し慣れ親しめば日本語同様考えるより先に口が勝手に喋ってくれる、手や指が勝手に書いたり入力してくれる状態に持って行くことが出来るのでは、と予想出来ます。そう考えればちょっと学習した程度で英語を使いこなせるようにならないからと言って匙を投げてしまっては、いつまでも英語を使いこなせるようにはならないとも言えます。なので私は今地道に学んでは忘れを繰り返し学習しています。母国語でないので、慣れるのに時間がかかるのも頷けますから、忘れても自分を責めたり苛立ったり憤慨したり狼狽したり絶望したりする必要は無いと私は考えます。
タッチタイピングの話から随分と飛躍した感は否めませんが、今日はこれで終わりにします。本日もお付き合いありがとうございました。また次回もお会いしましょう。失礼します、さようなら。


Saturday, June 20, 2015

他人と上手く関わるには?

こんにちは、タケヒコです。全国的に梅雨に入ってきた最近ですが、如何でしょうか?さて今日はインターネットにて気になった記事を見つけたので、それについて私なりに思ったことを書きます。
こちらの記事です→大人も悩むLINEの「既読無視」――問題の本質とは? 。私はLINEは利用していませんが、「既読無視」という言葉は知っていました。意味は差詰め「受信したメッセージは開いた(読んだ)がそれに対し返信・反応しない行為」でしょうか。
私はLINEを利用しておらずかつサービス内容にも理解が乏しいのですが、この既読無視に対し短絡的に苛立ちや不満、更には怒りを露わにする人が多いようです。それに対し感じるのは「何故自分のメッセージに返信・反応が無ければ、即座に負の感情を抱くのだろう」ということです。例えば仮に私がLINEを利用していて既読無視されたとしましょう。その時私なら、①相手にも事情があるのだろうとしばらく様子を見る、②そのメッセージが急ぎで直ぐに返信を欲しいなら、電話なりeメールなり他の連絡手段での返信要求を試みる、③もし既読無視の状態が長時間・日数続いており自分が気になるのなら、直に相手に確認する、等の反応をするでしょう。
いずれにせよ、「事象だけ見て頭ごなし・短絡的に無思考に反応しない」でしょう。これは何もLINEの既読無視に対してだけはありません。例えば他人が何か言ったとして、それが事実に反していたとしましょう。人によっては「言っていることが違うじゃないか!」とか「嘘つき!」等と感情的に反応する向きもあるでしょう。ですが私が心がけている反応の仕方に従えば、「事実と異なるようだけど、どういうことだろう?」と考えるという過程を意図的に入れます。冷静になって物事と向きあえばそれだけ事の本質・真実が見えてきます。この例の場合なら、無論意図的に嘘をついたという場合もあるでしょうが単に勘違いだったり他人からの噂や情報を真に受けてつい言ってしまった、等という場合も十分にあり得ます。
この様に「ちょっと考える手間を入れる」だけで誤解や行き違い等による悲しい出来事や事件・事故を防止・減少させられると私は考えます。これは「短気は損気」と近いものがあるでしょう。
知っての通り、世の中には多くの人がいます。当然ですが自分以外は全員「自分ではない」のです。自分と違って何の不思議もありません。既読無視の話に関して言えば、これが仮にLINEの使用規定に定めらているとか法律等で違法と規定されている等でないなら、既読無視に対して不快に感じ相手を攻撃するということは不法行為と言って差し支えないと私は考えます。
ただそうは言っても「郷に入れば郷に従え」という言葉もあります。聞くところによると、LINEには「グループ」というものがあるそうです。そのグループを「郷」と考えれば、その郷において慣例的になっている行動規範にある程度従う事でその郷内においての秩序を保つ事に寄与する場合も多いでしょう。従って多少無理しても既読無視の状態にしておかないというのも立派な対処法の一つと言えるでしょう。無論、それが自分にとって耐え難い苦痛だったり受け入れがたい事ならば、可能ならばその人間達と距離を置いたり絶縁するというのも選択肢の一つでしょう。
最近は世の中の仕組みが複雑化しサービスや価値観が多様化し、それに伴ってか人間関係で思わぬ摩擦・軋轢が発生する事例が多く見受けられます。それら一つ一つの事例にこれと言った絶対的な正解は無いと私は考えています。重要なのはいろいろな事象に対し、どうすれば妥当に解決させられるだろうかと自分なりに考え行動する事だと考えます。
無論その結果上手く事態を軟着陸させられる時もあるでしょう。逆に望んだ結果に至らない場合も出てくるでしょう。それらの良くも悪くも起きてた結果に対し一喜一憂してばかりでなく、それらから今後の自分の人生の道標になるような気付きや学びを見出し自分の糧とし続ければ、それらが経験値となり次回以降に何事か自分に起こった時により柔軟に理想的に対処出来るようになる可能性が高まります。人生におけるケーススタディとデータベースの構築と言ったところでしょうか。
では今日はいささか冗長になったので終わりにします。本日もありがとうございました。また次回お会い出来るのを楽しみにしています。失礼します、さようなら。


Friday, June 19, 2015

ブログは楽しい

おはようございます。タケヒコです。皆さんお変わりないですか?
さて今日はブログについての私の感想を書きます。先月に英語ブログを開始してから数日後にこの日本語ブログを開始しました。開始した当初はどうなるかと思っていましたが、なかなかどうして記事を書くのが楽しいと分かりました。英語ブログでは英語で記事を書いていますので、私の限られた語彙に支えられています。従って今のところは日本語ブログより圧倒的に表現の自由度が低いです。しかし毎日記事を書くことで英語力の向上に寄与すると考えていますので、まずは地道に少しずつ継続する事を標榜しています。
ところで私のブログはグーグルのブロガーで書いていますが、来訪者の数や国が分かる仕組みにです。それによりますと、英語ブログも日本語ブログもアメリカの方が随分多いようです。その次は日本からですが、数は然程多くありません。自分の記事を海外の人達に公開出来るのは、私としては凄いことだと思っています。
とは言っても私のブログは大した内容かも知れません。それでも自分の思考を文字に起こしていくという作業は、いい訓練だと私は考えています。自分の意思や考えを相手に伝わるように記事に書いていくこの作業を継続することで、「伝える力」を養いたいものです。
では今日はこれで終わります。本日もご訪問及びご閲覧ありがとうございました。また次回お会いしましょう。


Thursday, June 18, 2015

海外ネットショッピング

こんばんは、タケヒコです。最近天気はぐずついているのですが、夜は寝苦しいです。皆さんは体調を崩してはいませんか?
さて今日は海外ネットショッピングについて書きます。私はインターネットでたまに買い物をします。ですが海外から物を購入した事はありません。しかし最近海外のネットショップに興味があり、いつか海外から購入したいと思っています。
自分なりに少し調べてみたのですが、海外から購入する場合、①英語が理解できると円滑に事が進められる、②支払いの為にクレジットカードやそれに付随するモノかサービスを準備しておくといい、③購入したいネットショップが海外発送していない場合、転送代行してくれるサービスを利用すると良い、④品目によっては国内に持ち込めないモノがある、⑤輸入する際に関税が掛かり、それは個数や品目等の諸条件によって異なる、以上の大体5点に気を付けた方がいいという事が朧気ながら見えてきました(勿論、それ以外にも重要な要素がまだあるかも知れません)。
日本国内のネットショッップで購入するよりもいろいろ留意点や手続き等の手間が掛かるのは事実でしょう。ですがそれを上回る魅力が海外からのネットショッピングにはあると個人的に踏んでいます。
例えば、日本国内では全くもしくはあまり売っていないモノも手に入れられる可能性が高まります。そして価格についても、輸入されたモノを売っている国内のお店で購入するよりも場合によっては安上がりになる事もあるでしょう。後はこれは私個人の意見ですが、海外のネットショッップでのお買い物自体が日常まず経験しないであろう経験なので、手放しに楽しいと思うのです。これは私はまだ実際に海外から購入していないのですが、ネットショッップをいろいろ見て回ってはもう既に注文して手元に届くのを待っている状態という白昼夢を見ていて、それが非常に楽しいから思う事です。
いずれにせよ、最初は不慣れな事もあり間違ったり手間取ったりするかもしれません。ですが、何事も慣れの精神でまずは自分なりに体験して見ようと考えています。その為に今はいろいろ準備中です。早く実現させたいものです。
では今日はこれで終わりにします。本日もお付き合いとご閲覧ありがとうございました。またお会いしましょう。失礼します、おやすみなさい。


Wednesday, June 17, 2015

私の洗濯機

こんばんは、タケヒコです。ようこそ、お変わりないですか?今日は私の洗濯機をご紹介します。
私はこの洗濯機を私が一人暮らしを開始した時から使用しています。


所々汚れがあり年季を感じさせます。2002年製とありますので、13年程前ですね。


汚れこそあるものの、大した故障もせず今も問題無く使用しています。皆さんはどの様な洗濯機をお使いですか?またどの位の期間使われていますか?私はこの洗濯機に限らず、使えるものは大事に長く使うことを心がけています。
ではもう夜も更けてきたので今日はこの辺で終わります。お付き合いありがとうございました。また次回も是非ここでお会いしましょう。さようなら。





Tuesday, June 16, 2015

幸せって何だろう?

こんばんは、タケヒコです。梅雨の合間で時折暑い日もありますが体調は如何ですか?
さて今日は私なりに考える幸せについて書きます。
今の私の考えとしては「幸せは個人の価値観によって異なる」です。例えば「結婚出来なければ不幸・一人前でない」と考える人が未婚ならその人は自分自身を不幸と捉える可能性が高いでしょう。逆に「結婚しているか否かは人生の数多ある要素のうちの一つに過ぎない」と気にも留めない人や「自分は結婚出来なくてもいい」とか「いやむしろ未婚の方がいい」という価値観の人なら不幸どころか逆に幸せですらあるという逆転現象が起こる場合もあるでしょう。
実を言うと今より相当若い時分の私は価値観を自分の中でなく社会や他人に置いていたのです。例えば、まぁこれは幸せの話とは違うかも知れませんが、髪を切って次の日に登校したら同級生から「ダサい」と言われたとしたら、当時の私はその言葉に引きづられ「この髪型は駄目だ。もっと他人に好かれる・受けいられる髪型にせねば」と自己否定に腐心していました。
他にも多数の実体験がありますが、それらにいちいち影響を受けているうちに、気がついたら周囲に迎合し流されてばかりいる人間になっていることに気が付きました。その後は徐々に自分の意思や価値観を自分なりに試行錯誤しながら形成し続け今に至ります。
只、思うにこの「周囲に迎合し流される人生」が絶対悪とは私は考えません。つまり本人がそれを良しとし受け入れているならばそれもまたその人の価値観であり人生だと思うのです。
私はとても若い訳ではないですがさりとて生まれてから半世紀も経っていない青二才です。しかしいろいろな機会に過去の人達の生き方や価値観を知る機会はあります。
例えば前述の結婚に関する意識や価値観についてもいろいろ見聞きしていますし、他にも就職や持ち家等についての考えも知っています。それらの是非については論議しませんが、言えることは「その生き方でその人が幸せならそれがその人の幸せ」と言うことです。これは言ってしまえば本人が無理やり「自分は幸せなんだ!」と自分に言い聞かせ思い込もうとしている人も含まれると私は考えます。
ちなみに私は今の現状は十分幸せだと思っていますが、だからと言ってこのままを維持しようとは考えていません。更にいろいろ考え行動して新たな幸せを手に入れようと言う希望があります。ですのでひょっとすると数年後は今とは違う価値観を持つようになるかも知れませんし、何か新しいことを始めている可能性も十分考えられます。人生は常に流動的でいいというのが今の私の意見です。
他にもまだまだ書き連ねたい所ですが紙面の都合上また後日に持ち越します。本日もご覧下さりありがとうございました。ではまた次の記事でお会いしましょう。


Monday, June 15, 2015

人間の生き方・価値観について

こんばんは、タケヒコです。皆さんお変わりないですか?
さて今日は人間の生き方・価値観について書きます。先日興味深い記事を見かけました。世間から評価される人生が、正しい生き方なのか。~大手銀行の内定を辞退して見つけた、人生のレール~というものです。
この記事を読んだ私の感想は、「そういう意見・考えもある」ということです。私の立場としては「最終的に自分が納得出来れば、無論違法行為や社会に多大な損害や迷惑を書けなければ、それが最良の生き方」というものです。各人の生き方にこれといった正答や模範解答は存在しないと考えています。言ってしまえばこの記事のようにそのまま就職しようが事態しようが最終的には本人の意思と希望次第でいいということです。
そして話題にもなり易いかもしれませんが、「敷かれたレール」という世間一般に多少なりとも共有されているであろう概念・共通認識があります。例えば大学を卒業し会社に入社し定年までやり過ごし老後を悠々自適に全うする、というようなある種のテンプレート的な人生展開です。それに対して賛否両論があることでしょう。これについても私の見解としては「最終的に当人がどのように思いどのようにしたいかによる」です。
しかし実際問題として、自分の価値観や生き方に対する欲求がある程度確立されていないと、選択することが難しい場合もあるでしょう。実は私も若い時分にはいろいろ悩み葛藤しもがき苦しみ袋小路に迷いこんでいた時期がありました。今はそのような状態から脱却出来きました。私がしたことと言えば自分なりにいろいろ考えたり行動したり、本を読んだりいろいろな人の生き方・考え方に触れたりしたことです。
机上の空論よろしく考えてばかりいても行動しなければ変化しません。また無思考に行動ばかりしても点と点がつながって線へそして面へと発展していきません。
いろいろな人の人生や考えを知ることにより新たな発想や気づきを得られました。それらを出来る限り人生において試してみた結果、更に新たな発想や気付きへと発展していきました。
私は予てより人間の生き方・価値観に興味・関心を持っていました。それというのも、どのように生きどのような価値観を持つことが自分の人生をより豊かに従事した満足いくものに出来る可能性が高いか、と疑問に思っているからです。
折角生まれたからには極力日々を楽しく生きたいものです。これからも刻変化していく社会環境や時代背景に対応しながらその時々に即した生き方・価値観を模索し続けたいものです。
人生に対する私なりの意見や考察はまだありますので、またの機会に開陳するつもりです。本日もお付き合いありがとうございました。ではまた次回にお会いしましょう。失礼します。


Sunday, June 14, 2015

英語の聞き取りに慣れるには

こんにちは、タケヒコです。日曜日如何お過ごしですか?
さて今日は英語の聞き取りについて書きます。多くの日本人が英語の聞き取りは難しいと感じていると思います。私も以前はそうでした。流れる様にネイティブスピーカーが次から次へ喋っているのを聞くと、単語も聞き取れないし無論話している内容も理解できませんでした。
しかし英語学習を開始してから数年経った今では以前に比べ劇的に単語も聞き取れ、話している内容も多少は理解できるようになりました。正直な感想として、今のこの英語をある程度聞き取れ内容も理解できるという状態は私にとって「当たり前」です。
どういうことかというと、大体の日本人なら地方独自の発音や単語を除いた日本津々浦々で共通認識されている日本語なら、聞き取り言っている内容を理解できると思います。そしてそれは多くの日本人にとって極普通、当たり前の状態だと思います。つまり今の私はそのような当たり前の状態なのです。
私がここ数年したことと言えば、とにかく(主にネイティブスピーカーの)英語を聞く・英語に接する、英単語の意味と発音を学習・練習する、自分で実際に英語を口に出して発音してみる、等です。
これらを毎日少しでも続けた結果、数年前とは比べ物にならない程英語に慣れることが出来ました。継続は力なり、とはよく言ったものです。
英語も日本語同様、各単語をつなぎ合わせて構成されます。ならば一つでも多くの単語の発音と意味を知っていればそれだけ聞き取れ意味も理解できるはずです。単語をしらなければどこで単語が区切られているかが分からず、正に川の流れの如く英語が延々続いている様に聞こえるでしょう。
またたくさん英語を聞くことで、落ち着いて冷静に聞き取ろうとする姿勢も養われたように思います。昔の私もそうでしたが、英語を聞いた途端に怖気づき狼狽するよりは「さて相手はこれから何を話すのだろう?」と自然体で構えている方がより聞き取り意味を理解できる可能性が高まるでしょう。
短い文章なら聞き取れる、という人もいるでしょう。私も以前はそうでした。それから更にいろいろな英語を経験し続けた結果、その時よりも長めの文章も聞き取れ意味も推察出来るようになってきました。
今日はやや冗長になったのでこれ終わります。英語に関しては私なりに思うところが少なからずあるので、今後も何かしら書きたいです。ではご閲覧ありがとうございました。失礼します。


Saturday, June 13, 2015

笑うことは大切

皆さんこんにちは、タケヒコです。本格的に梅雨になりぐずついた天気の日が続きますが、如何お過ごしでしょうか?
さて今日は笑うことについて書きます。私は積極的に笑うようにしています。それは笑うと気持ちが嬉しくなり幸せな気分になれるからです。
しかし実を言うと昔は笑うことを否定、拒絶していた時期がありました。笑うことに対して卑屈、否定的な気持ちがあり馬鹿らしいと考えていました。そのようなものですから常に表情は固く強張り世の中の不幸を独り背負い込んだようなものでした。
私が笑うように自己改革したきっかけは今となっては定かではありませんが、何かの雑誌を読んで「笑うことで幸せになれる」というような記事に触発されたのが起源だった気がします。確かに実際に意識して笑うようにしてみると、なかなかどうして気分は晴れやかになり瑣末なことに対してはさして気にも留めなくなりました。
それになにより無料で大した準備も要らずお手軽に始められるのも魅力的です。開始する難易度が低く、それでいて実践した時の見返りが多いのです。費用対効果は高いと言えるでしょう。
諸説によると、一日計5分でも笑っていると気分的な効果はもとより、自己免疫力が向上するらしいです。ナチュラルキラー細胞というものがあるらしいですが、それらが活性化?するなり増加?するなりしてちょっとした病気は自然治癒してしまうらしいのです。
人前で笑うことが最初は苦手ならば、一人の時に笑ってみるのもいいでしょう。そして慣れてきたら公衆の面前でも徐々に笑ってみるといいでしょう。
俗に「笑いは伝染する」と言います。一人が笑うと他の人たちも笑うということです。そして突っ慳貪で無愛想な、イラついた表情よりは口元を和らげ笑みを伴った親しみやすい表情の方が他の人も近寄り易いでしょう。いい出会いがあればそれもまた人生を幸せに豊かに充実したものにしてくれることでしょう。
では今日はこの辺で終わります。ご閲覧ありがとうございました。また近々お会いしましょう。


Friday, June 12, 2015

英語学習を始めたきっかけ

皆さんこんにちは。私タケヒコです。ぐずついた天気の日もありますが、お変りないですか?
さて今日は私が英語学習を独学で始めたきっかけを書きます。まずは私が初めて英語と出会った時のことをお話しましょう。
私が中学一年生の時に初めて英語の授業を受けました。その当時は、おぼろげですが、英語という言語の存在は認識していたように思います。アルファベットにもすぐに慣れた記憶があります。ただし、簡単な英語の綴りや意味が絶望的な程分かりませんでした。
例えば「ワンの綴りは?」という問題にはwanと答える始末(正答はone)。itやthat、this等の区別も曖昧でした。最初の頃は英語に対して苦手意識を持っていました。
しかし地道にコツコツと勉強を続けた結果、ある程度得意になってきました。出来るようになると気分がいいので更に学習意欲も高まります。最終的には中学の教科の中で1、2を争う得意教科になりました。
しかし高校に入ってからしばらくすると中弛みかつ「自分は得意なのだから、怠けても大丈夫」という根拠の無い自身が自らを支配し始め、惨憺たる成績で高校を卒業しました。
その後は大学進学せずフリーター生活に突入し、だらだらリラックマな日々を過ごしていました。そんな時、「英語は絶対勉強するな!」という刺激的な題名の本に出逢ったのです。
学校英語に少なからず疑問を感じていた当時の私は早速本を購入し、付属のCDを毎日聴きこんでいました。そのお陰で、ネイティブスピーカー(と思われる話し手)の朗読が結構自然に聞き取れるようになりました。しかし意味まではわからず、かつその本にはCDの英語の原文が記載されていなかったので聞き取れない単語は調べようがありませんでした。それに加え当時(今から十余年前)はネット環境下に無かった私は学習に対する知恵も意欲も減退し、「どうせ英語なぞ出来なくても変わらない!」と逆ギレし、学習を止めてしまったのです。
それから幾数年が経ちいろいろ人生経験もしてきて余裕が出てきました。ネット環境も手に入れました。そうすると英語に関する情報やニュース、記事等が頻繁に目に入るようになりました。英語ブームのような雰囲気も相まってか実にいろいろ有象無象を知るようになりました。自分で検索して調べてみると、どうやら日本人でも相当な英語力を手に入れた人がいるということも判明しました。そういう人たちの話や記事を見聞きして感じたことは、「正しい方法で地道に継続すれば英語力は身につく」ということと「英語力が身につけば世界が変わる」ということでした。
そこから一念発起し、ネットでいろいろ効果的な学習の方法論を調べ自分で実際に試し始めました。今から2、3年前のお話です。
では今日はいささか冗長になったのでこれで終わりましょう。本日もお付き合いありがとうございました。また次回皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。さようなら、最後にいつも通り写真と私の英語練習の動画をどうぞ。




Wednesday, June 10, 2015

趣味はYouTube

皆さんこんばんは。タケヒコです。各地で梅雨入りしていますね。あなたの地域はどうですか?
さて私は趣味と英語の練習を兼ねてYouTubeに英語の動画を投稿しています。最初のうちは不慣れでしたが最近は円滑に作業出来るようになりなかなか楽しくなってきました。
動画を撮影して投稿するようになって気がついたことがあります。それは実際に英語を発音するので発音をより気にするということです。つまり撮影中ははっきり発音することを常に意識するので英語がより舌に馴染んできた感があります。


日本語でもなんの言語でもそうでしょうが、実際にその言語を聞いて自分で発音するという流れが言語上達の流れだと私個人は思っています。なので最初は聞き取れない、発音出来なくとも継続していればそのうち上達していくだろうと今は信じて続けています。
そういえば私は小学生の頃は字が上手ではなかった記憶がありますが、今となっては社会生活に支障をきたさない程度には書けています。継続は力なりですね。
では今日はもう遅いのでこの辺りでお開きにしましょう。本日もご訪問及びご閲覧下さりありがとうございました。また次回にお会いしましょう。最後に定例の写真を一枚残していきます。



Tuesday, June 9, 2015

梅雨入り

皆さんこんにちは。タケヒコです。ようこそわたしのブログへ。
さてそろそろ梅雨入りの時期ですね。私は雨は外で濡れなければ好きなのですが、洗濯物が外に干せないのが残念です。それに趣味の散歩も出来ません。皆さんは雨の日は好きですか?
私は適度な雨が降る音を室内で聞きながら英語学習や読書、インターネットに耽るのが好きです。あの独特の癒される雨音が好きなのです。
では今日はこれでお終いです。最後にいつも通り私が撮った写真を一枚載せておきます。さようなら、またお会いしましょう。




Monday, June 8, 2015

英語ペラペラ

皆さんこんにちは。タケヒコです。今日はどうですか?いいですか?いまいちですか?
今日は英語に関する記事です。私は今独学で英語を練習しています。まだまだペラペラには程遠いです。
さてペラペラといえば多くの日本人は「英語ペラペラになりたい」と思うかも知れません。私もそのうちの一人です。ではどうすればペラペラになれるでしょうか?
ここからは私の拙い経験談に基いています。なのでこれが唯一絶対の方法論だとは言いません。それは毎日英語に接し続けることです。何故なら私達が日本語を習得した要領も毎日接し続けたからです。
私が幼少の頃、テレビで頻繁に「あやまって」という言葉を聞きました。その時の私は「謝って」しかしらなかったので例えば「あやまって海に落ちた」という文を聞いて「何故に謝って海に落ちたのか?」と疑問に思ったものでした。しかし皆さんも御存知の通り「誤って」がこの場合の正しい意味です。
この他愛もないであろう些細な事例を用いて何が言いたいかというと、知らないことでも接し続ければ後々理解できるようになる、ということです。日本語同様、英語にも同音異義語や似たような発音、綴りの単語があります。最初は区別することが困難だったり意味を誤って捉えてしまうこともあるでしょう。しかしそれは言語を学んでいく上で避けて通れないであろう通過点だと私は考えます。その通過点をどれだけ多く通過してきたかがその後のその言語の運用能力に影響を及ぼすのです。
また巷で喧伝されている「あっという間にペラペラになれる」等のコピーを携えた各種商材を見かけます。もし仮にそれが本物であるなら、相当な社会現象に発展するなり文科省が指定教材として採用するなりの動きがあってもいいような気がします。それに日本語もそうですが、一朝一夕で言語習得を達成出来るとは思えません(無論、一朝一夕に身につけられるならそれに越したことはありませんが)。
いきなりはペラペラにはなれませんが、継続することにより徐々にペラペラになっていくのが言語だと私は認識しています。「継続は力なり」とはよくいったものです。
では今日はやや冗長になったのでこの辺りでお開きにしましょう。本日も閲覧頂きありがとうございました。またのお付き合いをよろしくお願いします。
最後に定例のおまけ写真を掲載します。



Sunday, June 7, 2015

夜も一人

皆さんこんにちは。タケヒコです。調子はどうですか?
さて昨日は一人暮らしのお話をしました。今日はそれに関連しての経験談をしましょう。
それは金縛りです。極稀に寝ている最中に誰かに抱きつかれる夢を見ることがあります。とても夢とは思えぬ程の感覚に襲われます。
動きたくとも全く動けません。汗を大量にかきます。しばらくすると目が覚め体も動かせるようになります。部屋には誰もいません。いた形跡もありません。しかしとても夢とは信じ難い程のリアリティなのです。
皆さんは悪夢にうなされたことはありますか?夜は怖いですか?一人は嫌ですか?電気は消して寝ますか?私は暗くしないと眠れません。
では今日も閲覧ありがとうございました。また次回もお会いしましょう。最後にいつも通りおまけの写真を残して終わりましょう。


Saturday, June 6, 2015

一人暮らし生活

皆さんこんばんわ。タケヒコです。如何お過ごしですか?さて今日は私の生活について少しお話しましょう。
私は今はアパートに一人で住んでいます。かれこれ十余年一人暮らしを堪能しています。最初のうちは不慣れなこともありいろいろ苦労や面倒もありましたが、慣れてしまった今は一人気ままです。
毎日簡単な料理を作って自炊しています。ご飯を炊いて冷凍食品等の簡単に調理出来るものだけ作って食べています。
たまに気が向いた時はスーパーの値引きセール品を買ってきます。いわゆるタイムセール(サービス?)です。閉店間際に半額以下になるのでお買い得です。
皆さんは皆さんは誰かと同居していますか?それとも私と同じく一人暮らしでしょうか?
では今日はこの辺で終わりましょう。本日も閲覧下さりありがとうございました。またお会いしましょう。
最後にセール品のお惣菜の写真を載せておきます。


Friday, June 5, 2015

日本語ブログ開始

こんにちは、タケヒコです。今日から日本語のブログを始めました。
最初に簡単に私の自己紹介をしましょう。私は英語学習をしている日本人男性です。英語力向上の為に英語で動画を撮ったりブログを書いたりしています。
このブログでは日本語で英語学習に関連した内容やその他の私が書きたい記事を書いていくつもりです。
では閲覧ありがとうございました。また近々お会いしましょう。